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『ディア・ハンター』(1978年)

1970年代 ヒューマン・ドラマ

原題:The Deer Hunter

監督:マイケル・チミノ 脚本:デリック・ウォッシュバーン(原案:チミノ)

出演:ロバート・デ・ニーロクリストファー・ウォーケン、ジョン・サヴェージ、メリル・ストリープジョン・カザール

チミノ監督が数日前に亡くなったと知り、あらためて観なおしてみた。最初に観たのは15年以上前だ。その時は、冗長な場面が続いて間延びした編集なうえ、ベトナム人が野蛮で残酷な「クリーチャー」として描写されてる不快さ、ロシアン・ルーレットの場面のエグさばかりが印象に残った。

チミノは「不遇の天才監督」と見なされることが多いようだが、「不遇の天才監督」というと、むしろキューブリック黒沢明が思い浮かぶ。資金面や環境にもっと恵まれたなら、彼らの最盛期はもっと長かったのではないかと思うのだ。とくにキューブリックは惜しまれる。もちろんチミノも、『天国の門』の失敗がなければ、もっと多くの映画が作れただろうとは思うが、チミノの場合、キューブリックや黒沢のように、大胆に場面をカットしてタイトに編集していく、フィルムに対する「非情さ」みたいなものがなさそうなので、本人の好きなように作らせたら、長尺な冗長な映画ばかりになりそうだ。

しかし今回じっくり見直し、内容はともかく、視覚的な表現については優れており、画面内を構成するもののリアリティの再現や構成的美しさ、視覚に入るものは小物ひとつさえもおろそかにしない厳格な絵作りをしていることに感心した。このこだわり方はヴィスコンティ黒沢明など巨匠たちに通じるもので、徹底している。

その一方で、物語の破綻や脚本の矛盾やリアリティのなさはあまり気にしない監督のようだ。思うに、ストーリーの整合性よりも、自分の中にあるいくつかのイメージを視覚的に再現することが、チミノの最大の関心事なのではないだろうか。二つの正反対のものの対照性にも関心があるようだ。結婚パーティーと戦場、アメリカの片田舎の日常と戦争下のベトナム、ウォーケンの二回のロシアン・ルーレット場面、デ・ニーロの二回の鹿狩り場面。もちろん、ウォーケンの最後の凄惨な死に方も、撮影前にチミノの中にイメージが出来上がっていたはずだ。

DVDの特典・チミノによるコメントを聴いて驚いたのは、鉄工所や結婚パーティー、ロシアン・ルーレットなど多くの場面で、主要キャストの周囲にいる大勢の人々は、実際その町に住む人や働いている人びと、あるいは撮影時のスタッフ(運搬トラックの運転手など)など、素人ばかりだというだ。何しろ、あの北ベトナムの捕虜収容所という設定の水小屋でのロシアン・ルーレットの場における、鬼気迫るベトナム人たちも、実際は素人のタイ人ばかりというのだから、そういう点ではチミノは抜群の演出力だ。一方で、退役軍人病院の患者やスタッフ、さらには野戦病院のシーンにおけるCIAまでが本物だというから、これも驚きだ。画面上のリアリティの飽くなき追求だろう。

この映画は主人公のマイケル(デ・ニーロ)と親友ニック(ウォーケン)との間の強い友情が主軸になっているが、ネットなどでこの映画の感想を調べると、「マイケルはニックにホモセクシャルな愛情を抱いている」ということを断固として主張する人がちらほらいる。しかし今回映画をじっくり観たところ、それは穿ち過ぎというものであり、マイケルはリンダ(ストリープ)を愛していることがちゃんと分かる。チミノ自身も、コメントの中でマイケルとニックの間にあるものは友情であり、同性愛ではないと断言している。むしろ、そういう見方に怒っているようだ。とはいえ、紛らわしいショットやセリフが多いのも事実で、いくらでも「そういう」解釈が可能な映画でもある。

それより愕然としたのは、スティーブン(サヴェージ)と結婚したアンジェラのお腹の子が、ニックの子供だというチミノのコメントだ。そんな伏線があったっけ?しかも、マイケルはそのことを知ってるらしい。

しかし、そういう前提で観返してみれば、つじつまの合う部分はある。ニックがサイゴンからスティーブンの家あてにお金と象の人形を送り続けている理由は、つまりは自分の子供のためだったというわけだ。

でも、アンジェラとニックがそういう関係だったとすると、この映画の物語世界がますます混乱する。というのは、ニックは仲間であるスティーブンの恋人を寝取っているにもかかわらず、何食わぬ顔で二人の結婚式の付添人をしていたということになる。しかも、苦悩を打ち明けるスティーブンに「気にするな」「彼女の問題だ」とか言っている。ニックが自分の子供だと思っていない可能性もあるが、それならなぜ、わざわざロシアン・ルーレットで得たお金を送金するのか?同じ職場で働き、遊ぶ時も一緒の彼らの人間関係が、実は見た目ほど単純なものではなかったということになる。

そもそも、観客のニックに対する印象も大きく変わるくらいのインパクトある情報ではないだろうか。ウォーケンが演じたニックに対して多くの観客が抱くイメージは、明るく無邪気で、恋人を大切に思う繊細な青年というものだ。だからこそ、戦場体験後のニックの精神崩壊した廃人同様の姿が痛ましく、最後の壮絶な死に様が一層残酷に思える。それが、実は仲間も恋人も影で裏切っていたとなると…。

この映画は実はアメリカ資本ではないので、そういう意味では、いわゆるハリウッド映画の暗黙のルールに従う必要はないはずなのだが、結果的には、一番悪いこと(仲間への裏切り、不倫)をしたニックが、一人だけ「死」という制裁を受けたことになる。

この映画はいったい何なのだろうか?

チミノは「ホーム・ムービーさ」「家族映画だ」と何度も言っている。もちろんこの映画は戦争映画ではなく、ましてや反戦映画などでは全然ない(ラストの『ゴッド・ブレス・アメリカ』の演出の仕方をみれば一目瞭然)と思うが、チミノの言う通り「家族(仲間)をつくっていく」物語なら、なおさらニックの裏切りは意味不明だ。

もしかしたら、最終的にカットされてしまったいくつかのシーンの中に、伏線となるようなものが含まれていたのかもしれない。ニックの子供の件に限らず、この映画は説明不足になってるものが非常に多く、そのためいろいろな憶測(ホモ説含め)や誤読を生んでいるわけだ。しかし却ってそのおかげで、実際よりもかさ上げされて評価されている部分があるようだ。

チミノは、「この映画は、若者が外の世界に出て行ったときに経験することを、象徴的に描いているんだ」みたいなことを、コメントで述べている。この映画がアカデミー賞にノミネートされた同じ年に、アラン・パーカーの『ミッドナイト・エクスプレス』もノミネートされている。オスカーは逃すが、ゴールデングローブ賞はこちらが獲っています。「アメリカの若者が、異文化圏に行き、悲惨な目にあう」という構造は同じ、現地人の描き方がひどすぎる(こっちはトルコ)と批判された点も同じ。ただ『ミッドナイト・エクスプレス』のほうは、裕福で軽薄な若者が麻薬所持・密輸の疑いで刑務所に入れられひどい目にあうというシチュエーションなので、いまいち主人公に同情しきれない部分が残る。その点、ベトナム戦争と貧しい移民の若者を対象にしたところが、『ディア・ハンター』の上手いところだ。

見どころ①やはりウォーケンの若さと秀麗な容姿だろう。ウォーケンの顔は独特だ。女性的な顔立ちで、男にも女にも訴える妖しさがある。ウォーケンの美のタイプを女優に置き換えると、シャーロット・ランプリングだろうか。好き嫌いの分かれる美しさ、クセのある美しさで、見せ方によっては美しいというより恐くみえる顔だ。気持ち悪いと思う人もいるかもしれない。キアヌ・リーブスジョニー・デップブラッド・ピットといったハリウッドの二枚目スターたちとは質の異なる美しさだ。テレンス・スタンプが同じタイプだろうか。

見どころ②デ・ニーロの演技は独特であり、クリエイティブだとあらためて思った。『ロンリー・ブラッド』で、S.ペンと同じにくくってしまったが、やはりデ・ニーロの方がずっと微妙な表情が多く、アーティスティックな演技だ。しかし非常に複雑な感情表現をするため、この映画ではマイケルの性格や考えが観客にはすごくわかりづらい(しかも編集のせいか演出のせいか、謎の言動にみえてしまう)。ただ、デ・ニーロ演じるマイケルが体現しているものは、無骨だが冷静沈着でリーダーシップがある、「本当の(アメリカの)男」だろう(移民ではあるが)。デ・ニーロの演技のおかげで、この映画は実際以上に深遠な内容に見えている。

ところで、チミノのコメントの中に、マイケルがスタン(カザール)に銃を突きつけるシーンで、デ・ニーロが一発だけ実弾をこめたいと言い出し、カザールはそれを了承したものの30分置きに弾倉を確認していた、というエピソードがある。これは…『ロンリー・ブラッド』のペンのエピソードとそっくりだ。そもそも『ロンリー・ブラッド』のエピソードの出典ははっきりしていない。おそらく、デ・ニーロのエピソードを知っている誰かが、登場人物を差し換えて、多少色をつけて、ネットで拡散したのだろう。

戦争うんぬんだの、政治うんぬんだのややこしく深読みせず、「いい年した男たちがいつまでもガキみたいにつるんでふざけ合っている愛すべき姿と、その後の苦い挫折感を描いた青春群像映画」として観た方が、いいのではないだろうか。むしろそうして観たほうが、魅力ある作品に思える。

 

7月11日追加:

また見直してみたら、ラストのニックの葬儀の場面で、墓地から最後に出ていくアンジェラをスタンが肩を抱いて歩くショットや、そのあとのダイナーで、マイケルがアンジェラを慰めるような様子で肩を抱くショットがあった。これは、やはり子供の父親がニックであることを暗示しているのだろう。しかし、もっと前の場面にもう少し伏線が欲しい。

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