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『パルプ・フィクション』(1994年)

原題:Pulp Fiction

監督:クエンティン・タランティーノ 脚本:クエンティン・タランティーノ

出演:ジョン・トラボルタブルース・ウィリスユマ・サーマンサミュエル・L・ジャクソンクリストファー・ウォーケン

かなり久し振りに観直した映画。劇場公開されたのを初めて観た時は、かなり高揚感があったことを思い出す。何というか、「このセンスだ!」という感じがあった。使われている音楽や映像のセンスなどに、とても共感できるものがあったのだ。

しかし時系列がバラバラになった映像構成は、一回の鑑賞では到底理解できず、細かいディテールを楽しむ余裕もなかった。だがなぜか、自分たちの時代の映画監督であるという感覚だけは、強烈にあった。

あらためて観直してみると、いろいろ気が付くことがある。まず、この映画の主人公は、当時のネームバリューから言って当然トラボルタとウィリスだと思っていたのだが、いま観直してみると、真の主役はサミュエル・L・ジャクソンだと思えてくる。トラボルタとウィリスも、スターとしての華があって良いのだが、ジャクソンの演技力の方が圧倒的なのだ。これは、トラボルタとユマ・サーマンの会話シーンと、トラボルタとジャクソンの会話シーンを比べれば、分かる。サーマンとの組み合わせはビジュアル的には良いのだが、二人の会話シーンは今一つ退屈だ。一方、ジャクソンとトラボルタの掛け合いは、まさに掛け合いといえるテンポの良さとおかしさがあり、ひきつけられる。また役柄的にも、トラボルタとウィリスのキャラクターは、本人の制御を超えた運命に振り回されているが、ジャクソンのキャラクターは運命に対してコントロールする力を持っているように思える。

サーマンは、タランティーノだけが最上級に上手く使える女優ではないだろうか。彼女を「個性派女優」のように見せることができるのは、タランティーノだけだろう。正直、彼女の魅力の大半は、その容姿にある。サーマンに限らず、この映画ではタランティーノのキャスティングの上手さが際立っており、それがこの映画の魅力の大きな要素になっている。

ウォーケンの出演場面は3分ほどだが、その間ほとんどウォーケンしか映らないことを考えれば、これはこれでリスペクトのある使い方といえる。やたらと真面目くさった調子で金時計の由来について語り続けるウォーケン。観客も「ふむふむ」と真面目に聞き入っていたところで、最後に突然「んん???」てなるものの、ウォーケンの方はそのまま変らず「感動的な場面」として演技し続けるところが、またいい。

タランティーノの映画は新作が公開されるたびにずっと映画館で観てきたが、自分の中では、以降の彼の作品で、『パルプ・フィクション』を超える感動には、今のところまだ出会わない。

見どころ①長々と続くヨタ話の場面よりも、むしろセリフのない場面にこそ印象的なシーンが多い。トラボルタとサーマンのダンスシーンの洒脱さ、ウィリスがトースターの上がる音に驚いてトラボルタを撃つシーンの意外性、ウィリスがカナズチ→バット→チェーンソー→日本刀と武器をグレードアップしていくシーンのユーモアなど。

見どころ②アメリカン・カルチャー(ハリウッド、ドラッグ、ブラック・カルチャー、マクドナルドやコーラなどのジャンクフードを含めて)を、まさにアメリカならではのポップカルチャーとして実に魅力的に見せている。イギリスを始めとするヨーロッパ文化の重厚さ・貴族性に対して、まったくひるむことなく一切卑屈になることなく確信に満ちてアメリカ文化の魅力を堂々と主張したのが、アンディ・ウォーホルタランティーノだ。

特にタランティーノは諸外国に多くの追随者や模倣作品を生んだという点で、映画の世界に革命を起こしたといってもいいだろう。

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