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『アディクション』(1994年)

原題:The Addiction

監督:アベルフェラーラ 脚本:ニコラス・セント・ジョン

出演:リリ・テイラークリストファー・ウォーケン、アナベラ・シオラ

メジャーなスタジオが吸血鬼映画を製作した場合は、ゴシック・ホラーのスタイルを採ることが多いが、この映画はインディーズ系であり、現代のニューヨークが舞台になっている。正直、面白いのか面白くないのかよく分からない。というより、この映画の中で話される哲学論議はほとんど理解できないので、観ている方としては映像のBGMみたいなものだ。とはいえ、自分が20代の頃だったら、結構気に入ったかもしれない。一言で言えば、風変りな吸血鬼映画という感じだが、どうやら監督自身は吸血鬼映画を作ったつもりではないらしい。

リリ・テイラーは美人ではないが個性的で、その意味で実在感がある。しかし、テイラーが吸血鬼になってから、ウォーケンが登場するまでの前半の流れは正直かったるい。撮影期間20日間というおそるべき短期間で制作されたせいか、なんとなく20代くらいのゴダール好きの映画青年が仲間と作ったような雰囲気だ。理屈っぽく、やけに思弁的なセリフが多く、思想の表現として映像表現がある。

ヴェトナム戦争における大量虐殺死体、ホロコーストの犠牲者たちの死体などの記録写真や映像が何回も挿入され、しかも結構時間も長いので、劇中の吸血シーンよりそちらの方が、はるかに恐ろしく禍々しい印象を残す。監督はこれが狙いだったのか、そうだとすると、現実の「普通の」人間の方がよほど残虐で罪深い存在なのだという意味なのだろうか。

古典的ホラー映画の素材としては、吸血鬼のほかにフランケンシュタインやゴーレム、魔女等々あるが、その中でも吸血鬼はその存在のあり方が、キリスト教とくにカトリックと強く結びついているようだ。それは吸血鬼が十字架を恐れるということもあるのだが、「血」が関係するところがひっかかるのだ。カトリックのミサでは、最後の晩餐でキリストが弟子たちにパンと赤ワインの注がれた杯をまわしたことを模して聖体拝受の儀式が行われる。その際司祭は、キリストに代わって「これが私の体であるこれをとって食べなさい。これが私の血であるこれをとって 飲みなさい、これを私の記念として行いなさい」と言う。つまり信者が血を頂く相手はキリストだけなのだ。そう考えると、吸血鬼とはキリストから「聖なる血」を頂くことができない呪われた存在であるがゆえに、常に血を渇望し、「聖なる血」の代わりに人間の血を求め吸うのだろうか。

見どころ①ウォーケンは長めの髪をオールバックにして登場。この髪型は『ゴッド・アーミー/悪の天使』と同じだ。撮影時期が被っていたのかもしれない。その後シャワーを浴びた後らしき場面では、なんと洗い髪(ザンバラ状態)で登場。長い前髪を時折り払いながらセリフをしゃべる姿は見もの。

見どころ②後半、吸血鬼になった者たちが、そうでない者たちに次々に襲い掛かる。それまでのまどるっこしい展開とは打って変わってあれよあれよとスピーディな展開。吸血鬼が集団となって一人に襲いかかりむしゃぶりつく様子はゾンビ映画などB級ホラー的な雰囲気。この場面のために前半があったといってもいいくらい、やたらと活気づいてるシーン。

メジャーの吸血鬼映画においては、吸血鬼は自己の存在について悩むことはないが、この映画では吸血鬼になると、あれこれと哲学的懊悩に陥るようだ。キャサリンテイラー)も哲学の博士論文をすごい集中力で仕上げてしまうし、ベテラン吸血鬼ペイナ(ウォーケン)も、『存在と無』やら『裸のランチ』やら、普通のアメリカ人があまり読まなさそうな本ばかりが愛読書で、それらの本によって苦悩から救われたことが暗示される。何とも不思議な映画だ。

アディクション [DVD]