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『バットマン』(1989年) 

原題:Batman

監督:ティム・バートン 脚本:サム・ハム、ウォーレン・スカーレン

出演:マイケル・キートンジャック・ニコルソンキム・ベイシンガー

現在ではアメコミ原作の実写映画が毎年何作も製作され封切られているが、バートンの『バットマン』は先駆的作品だと思う。この作品は、アメコミ・ヒーローものの映画としては、いくつかの点できわめて画期的だ。まず、アメコミ・ヒーローが登場する映画において大人の鑑賞に堪えうるような深いテーマを描いた点。ヒーローを精神的に不完全な存在として描いた点。悪役(ヴィラン)に内面性を与えた点。そしてヒーローよりも悪役の方に、映画の中心的テーマを象徴させている点である。

これほど「人間」を描くことに注力したアメコミ・ヒーロー映画はそれまでなかったのではないだろうか。そしてバートンが創始したこの新機軸は、以降のアメコミ・ヒーロー映画の作り方に大きな影響を与え、現在のアメコミ・ヒーロー映画の多くがこの流れを受けているように思える。

バットマン』において興味深いキャラクターは、断然ジョーカー(J.ニコルソン)だろう。バートン監督による『バットマン』『バットマンリターンズ』では、それぞれのヴィランが「異形のもの」になった経緯がすべて映画の中で描かれている。彼らは突然、変異した姿で我々の前にあらわれるのではなく、「なぜそのような姿になったのか」を、観客は目撃するのだ。

ジョーカーの場合は、ギャングのボスに嵌められて警察とバットマンに追い詰められ、バットマンとの格闘の末に廃棄溶液の容器の中に墜ち、漂白された肌と笑ったように歯が剥き出しになった顔になってしまう。

面白いことにジョーカーは、元のギャングのジャックとして一般社会(表の世界)に姿を現す時には、真っ白い肌を隠すために肌色のファンデーションを塗り、緑色の髪も隠し、出来る限り見た目を通常の人間の姿に近づけようとする。つまり、ジョーカーにとっては、普通の人間の姿が「仮装」した状態なのだ。彼が汗ばんだ額をハンカチで拭うと、肌色のファンデーションがはがれて、真っ白い「素肌」が露出する。ジョーカーの時の異様な姿こそ、生まれ変わったジャックの新たな素顔なのだ。「本当の自分の姿」という言葉を我々は口にするが、自分にとっての「本当の姿」と、世間が思っている「本当の姿」が、実際にはかい離しているものであることのメタファーになっている。

ジョーカーの目的はゴッサム・シティを支配することだが、彼は単に権力者になることを目指しているのではない。ジョーカーの真の目的は、美術館で数々の美術品を破壊するシーンと、レストランでヴィッキー(K.ベイシンガー)と交わす会話の中に示唆されている。彼の野望とは、この社会における美の基準をかく乱することだ。すなわち、従来、美とされているものに唾を吐きかけ、代わって、醜とされているものを新たな美として称揚するのである(レンブラントフェルメール、ドガなどの絵画を滅茶苦茶にする一方で、フランシス・ベーコンの絵画だけは気に入ってそのままにしておくところが象徴的だ)。こうした考えを持つにいたったのは、言うまでもなくジョーカーとなったジャック自身の醜く引きつった容貌が関係している。

ウェイン/バットマン(M.キートン)が調べたジャックのプロフィールには、「頭脳明晰だが精神的に不安定、化学と美術に才能がある」とある。ジョーカーは元来は美意識が高く、事実、変貌する前のジャックだった頃は、ボスの妻である美女を(内面ではなく)その美しさゆえに愛していたのである。そして、ジョーカーはヴィッキーに向かって言う。「君は美しい。クラシックな種類の美しさだ」。そして、自分がもっと「今ふう」の美しさに変えてやろうと言う…薬品によって醜くただれた顔にすることによって。

バートンの『バットマン』におけるジョーカーは、犯罪者・異形の悪者というだけでなく、「世間に認められないアーティスト」でもあるのだ。このあたりのキャラクターの性格づけに、まだ現在のように巨匠として認知されていなかった頃のバートン自身が投影されているようにも思える。

またジョーカーの存在は、すべての人にいつも「笑顔であること」「ハッピーであること」を要求する社会に対する皮肉にもなっている。こういう種類の抑圧が日本社会以上に強力なのがアメリカ社会のような気がするのだが、どうだろうか。アメリカに住んだことがある人に訊ねてみたい気がする。

ジョーカーは人を殺しながら高笑いする。他の人間がまったく面白くない時にも笑い続ける。その笑い顔を不快に感じた人間が、ジョーカーに「ニヤニヤするな」と言うと、彼はこう返すのだ。「ハッピーに見えるだろう?」。

バートンの『バットマン』は、舞台装置やキャラクターのコスチュームなどきわめてファンタジックで、また随所にコミカルな要素を散りばめているので、後に作られるクリストファー・ノーランバットマンシリーズに比べ、リアリティからは程遠い安っぽい子供向け作品のように見られがちだが、実は、バートン監督のシビアな視線と皮肉が深く潜んだ社会風刺的な要素もある映画だ。その意味で、きわめてリアルな世界を描いているのである。

バットマン (字幕版)