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『バットマンリターンズ』(1992年)

1990年代 アクション コメディ ファンタジー

原題:Batman Returns

監督:ティム・バートン 脚本:ダニエル・ウォーターズ

出演:マイケル・キートンダニー・デヴィートミシェル・ファイファークリストファー・ウォーケン

バットマン』の興行的成功により、バートンは、かなり彼の思い通りに『バットマンリターンズ』を作れたのではないかと思う。それはセットが前作よりもはるかに大がかりで派手になったことからも分かるが、何といっても悪役(ヴィラン)が3名に増えた点が重要だ。複数になったことで、バートンの考える「本当の悪の姿」とは何かが、より明確になった。

ヴィランはペンギン(D.デヴィート)とキャットウーマン(M.ファイファー)の2名じゃないか、と思う人もいるだろうが、実業家のマックス・シュレック(C.ウォーケン)をいれた3名である。ペンギンとキャットウーマンのように「異形」の姿でないために、この二人に比べて目立たないが、実はもっともヴィランらしいヴィランシュレックなのである。

この映画は、よく言われるように、バートンの「異形のもの」「社会から疎外されたもの」に対する強いシンパシーが核になっている。そのため、ペンギンが登場する場面の描写には多くの時間を割いているし、容姿の醜さゆえに実の親から捨てられるという彼の不幸な生い立ちや、「愛されたい」と願う気持ちの切実さも丁寧に描いている。その結果、ひどく奇怪な容姿にもかかわらず、観客はペンギンに同情してしまう。彼の粗暴な言動にもかかわらず、ペンギンの存在にある種の「悲しさ」「憐れさ」を感じてしまう。

そしてキャットウーマン。彼女も、「なぜそのような姿(ヴィラン)になったのか」の一部始終が、映画の中で説明される。セリーナとしての彼女は、シュレックの下で働く地味で真面目な秘書だった。秘書といっても、バリバリ働くエリート職ではなく、かつての日本企業の一般職にあたるような、お茶くみや雑用も引き受けなければならないタイプの秘書だ。つまり高度な仕事を達成することも期待されず、その能力をまともに評価されることもないポジションなのである。そして、彼女が実は優秀な能力を持っていることにシュレックが気づいたとき、それが彼の秘密を暴く可能性があったために、殺されてしまう。

猫の力によって蘇ったセリーナが、帰宅後に見せる振る舞いのひとつひとつが、「社会の現実の前に夢破れた女」を表している。ソファーに並べてあったたくさんのヌイグルミをディスポーザーにかけて粉砕し、ベッドルームに置いてある乙女チックなドールハウスに、黒インキのスプレーをグチャグチャに吹きかける。こうした行為は、セリーナが「夢みる少女」に訣別し、男(社会)に復讐するキャットウーマンになるための儀式なのである。そして男(社会)に対する甘い期待を失った時、皮肉にも、不格好な眼鏡をかけたオールドミス・タイプだったセリーナが、妖しい美しさと強烈なセックスアピールに溢れたキャットウーマンに変貌する。

ペンギンもキャットウーマンも、「社会に認めてもらえない存在」であり、孤独感に苛まれ、「異形」や「異端」に身を隠すことで何とか自分を守る。二人は実のところ、バットマンとは敵対する理由がないし、実際、彼らがバットマンと対決しなければならない理由など、ほとんど根拠がないのだ。彼らはその姿こそヴィランだが、バットマンの敵ではなく、むしろよく似た仲間とさえ言える。

バットマンは、キャットウーマンとの対決の場面で、彼女に言う。「僕たちは似ているんだ。人格が二つに引き裂かれている」。この映画の中心にあるテーマは「分裂した自我」だが、彼らの自我の分裂を引き起こした遠因に、「世間」というものの存在があることがほのめかされている。バットマンブルース・ウェイン、ペンギン/オズワルド・コブルポット、キャットウーマン/セリーナ・カイルの3名は、それぞれ二つの名前を持っている。

一方、シュレックは、ずっと普通の人間の姿であり、名前も一つだ。彼にはペンギンやキャットウーマンのような、「なぜそのような姿(ヴィラン)になったのか」という物語がなく、観客にとっては感情移入できないキャラクターである。シュレックは、凶暴だが根が単純なペンギンを自分の利益のために言葉巧みに操り、殺したはずのセリーナが再び彼の前に現れると「脅してきたらもっと高い所から突き落としてやる」と言い捨てるほど非情なのだが、威厳のある容姿を持っているため世間から信用されている。ゴッサム・シティーの人々から尊敬され、「ゴッサム・シティーのサンタ」と呼ばれて親しまれている。バットマンとペンギン、そしてキャットウーマンというキャラクターたちは、外見(見た目)と中身(精神)のギャップに苦しみ、世間の人々から理解されない孤独の中に生きているのに対し、シュレックにはそうした葛藤がない。

シュレックはまた、「世間」そのものでもある。映画のラストで、キャットウーマンの仮面をつけているのがセリーナだと知ると、シュレックは「お前はクビだ!」と言い放つ。彼は自分が置かれている状況を理解せず、キャットウーマンの力を見くびり、相変わらず彼女を自分の部下だと思い込んでいるのだ。そしてバットマンの仮面をもぎ取ったウェインを見て、「なんでバットマンの格好なんてしてるんだ?」と言う。セリーナは言う。「まだ分からないの?彼がバットマンなのよ。このまぬけ!」。シュレックのこの態度は、決して本質を見ようとしない「無理解な世間」そのものだ。

バットマン』『バットマンリターンズ』には、バートン自身の人間や社会に対する深い洞察がうかがえて、興味深い。

ちなみに、バートンはしばしば自作の中に映画的トリビア(過去の映画へのオマージュ)を埋め込むらしい。マックス・シュレックというキャラクターは、おそらくウォーケンが『美しき獲物たち』で演じた、マックス・ゾリンを意識して作られたものだろう。ゾリンが、シリコン・バレーを水没させて壊滅し、半導体のシェアを独占しようとしたのに対し、シュレックは、ゴッサム・シティーに原発を増設し、街中の電力を手中に握ろうとする。金・権力へのあくなき野望。やはりヴィランはこうでなければいけない。「人々から尊敬されたい」という願いしかないペンギンは、やはりヴィランではないのである。

バットマン リターンズ [DVD]