『キング・オブ・ニューヨーク』(1990年)

原題:King of New York

監督:アベルフェラーラ 脚本:ニコラス・セント・ジョン

演:クリストファー・ウォーケン、ラリー(ローレンス)・フィッシュバーン、ヴィクター・アルゴ

知られざるギャング映画の秀作。観れば観るほど良さが分かってくる。だがインディーズ映画のせいかあまり知られていないのが勿体ない。ウォーケンの演技に関していえば、『ディア・ハンター』『デッドゾーン』と並ぶ代表作の一つと言ってもいいのではないだろうか。前二作に比べると、テレビの地上波では絶対に放送しそうにない内容だし、アメリカではどうか知らないが、日本ではほとんど知られることがないまま埋もれていきそうなのが惜しい。

内容的には、ギャングVS警察の闘いが主軸であり、アメリカン・フィルム・ノワールというよりフレンチ・フィルム・ノワールだ。だが主人公はニューヨークのギャング、しかも手下のほとんどがアフリカ系というところが設定として斬新だ。

『フューネラル』といい、フェラーラのギャングものはなぜか乱交シーンみたいなのが入る。それがB級映画っぽさというかある種のチープさにつながっているような気がするのだが、ギャングの世界を描くうえで必要なのだろうか。こういう場面がもう少し洗練されていたら、もっと多くの人に観られる映画になりそうなのだが。この映画では、出てくる女優もいまひとつ安っぽいタイプだ。しかし口当たりが良くなることを、この監督は望んでいないのかもしれない。

後半のカーチェイスは迫力があって魅せる。こういう場面はやはりデカいアメ車が見栄えがする。実際の地下鉄でロケしたシーンは、低予算のせいもあろうが、創意工夫があるし、臨場感があってよく出来ている。

映画のラスト近く、地下鉄のシーンでウォーケンが見せる放心した感じの横顔が素晴らしい。こういう表情ができるところが彼の俳優として凄いところ。ラストの場面、タクシーの中でウォーケンが見せる完全な無表情が、かえって映画の結末に複雑な印象を与えている。

1990年といえば、スコセッシが『グッドフェローズ』を公開した年であり、あちらはアカデミー賞候補にいくつもあがった有名作品である。『グッドフェローズ』も好きな映画ではあるが、あくまでもメジャー作品としてのマフィア映画。現在の地点から振り返ったマフィアの年代記だから、残酷なシーンはあるものの全体にノスタルジックな雰囲気だ。ジョー・ペシの演じた役も、キレかたに迫力はあるがどこかマンガ的というか戯画化されたキャラクターのようでもある。イタリアン・マフィアといえばギャングものの定番だから、話の展開や人間関係のあれこれや、破滅への道筋なんかもある程度想定内だ。背景に流れる音楽はスコセッシの好きな60~70年代のロックが中心。観客は、メジャー映画の匙かげんをよく心得たプロフェッショナルな監督であるスコセッシの語り口に、安心して身を委ねて、エンターテイメントとしてこの映画を楽しむことになる。

一方、『キング・オブ・ニューヨーク』の主人公フランク(C.ウォーケン)が率いるギャングのグループは白人と黒人が混ざっており、白人の出自もイタリア系・アイルランド系が入り混じっている。映画の背景に流れるのはヒップ・ホップ。ギャングと警察の関係も単純に善と悪の対立として描かれれるのではなく、それぞれの中に善の要素と悪の要素があり、映画の後半では善悪の立場が入れ替わりさえする。ギャングの黒人と警官の黒人が殺し合うという、観客に複雑な感情を湧き起こさせる場面もある。そしてフランクは、悪どい商売をする他のギャング・グループのボスを次々に殺して町を「浄化」する一方、ドラッグの密売で儲けた大金をハーレムの病院の存続のために寄付するという、義賊みたいなギャングなのだ(アメリカのレビューでは「現代のロビン・フッド」と形容されている)。人間が矛盾に満ちた存在であることや、悪人が時に善を施し、正義の側にいる者が悪となるさまも描かれる。フランクや部下たちのファッションが、黒を基調としたスタイリッシュなところがいい。

※8月22日追記

ウォーケンが地下鉄の中で見せる放心の表情にきわめて近い表情を、往年の日本映画の中に発見した。岡本喜八監督の『大菩薩峠』(1966年)の主人公、机竜之助に扮した仲代達矢が、有名な大殺陣シーンの後に見せる何とも言えない虚無的な表情が、よく似てるのだ。岡本監督の『大菩薩峠』は、アメリカでは"The Sword of Doom"というタイトルでよく観られ、『七人の侍』や『用心棒』にも並ぶ人気があるらしい。ウォーケンが参考にしたかどうかは分からないが、『ラスト・マン・スタンディング』では『用心棒』で仲代のやった役どころを演じたことを思うと、奇縁を感じる。

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