『ステップフォード・ワイフ』(2004年)

原題:The Stepford Wives

監督:フランク・オズ 原作:アイラ・レヴィン 脚色:ポール・ラドニック

出演:ニコール・キッドマンマシュー・ブロデリックグレン・クローズクリストファー・ウォーケンベット・ミドラー

キャサリン・ロス主演『ステップフォードの妻たち』(1975年)のリメイク作。前作はサスペンス・ホラー&SF仕立てだったらしいが、今回はコメディ&SF仕立てである。「ステップフォード・ワイフ」という言葉はアメリカでは有名らしい。つまり、夫にとって理想的な妻(従順・家庭的・美人)を表す代名詞として、レヴィンの原作やロスの映画を観たことがない人でも、「ああ、あれね」という感じで分かるらしい。

1970年代の前半のアメリカでは、脳に何らかの外部的処置を施すことで人格を作りかえる、という映画が何本も作られた。この映画は脳手術とは少し違うが、やはり人格の作りかえが重要なモチーフになっている。1975年製作の前作は未見なので詳しい内容は分からないが、簡単な筋書きは次のようなものらしい:自立意識を持ち始めた写真家志望の妻(ロス)に脅威を感じ始めたその夫が、ステップフォードなる謎めいた町に家族で移住する。その町の妻たちは皆、判で押したように夫にとって理想的な妻ばかりである。疑惑と恐怖に次第に追い詰められていく主人公。実は、強い自我を持ち始めた妻を疎ましく思う夫たちが、彼らの妻をロボットに置き換えていたのである…。

今回のリメイクは、これをコメディにして、さらにラストに新たなプロットを追加している。上記のストーリーを見ても分かるように、これは1970年代のフェミニズムの台頭とそれに反発する保守層の姿を寓話化したものである。そうした時代背景あってこそのテーマなので、これを2000年代にリメイクするからには、当然そのままでは無理がある。そこで、この映画の製作側がとった戦略が、「コメディにする」ということだったらしい。監督のオズはコメディ映画の監督として知られているので、彼を採用した時点で既に「コメディ化」は既定路線だったはずだ。

コメディ映画という路線のもと、脚本家はこれをさらに「2000年代向けの内容」に脚色した。彼が行った「現代化」は主に次のものだ(ネタバレ):ステップフォードの町を、1950~60年代で時計の針が止まったような世界にする(戯画化)。この町に移住してくる新参者の属性を「2000年代風」のものにする(主人公はTV業界で有名な女性ディレクターで、夫は部下。同時期に移住してきた隣人は、フェミニズム作家とその甲斐性無し夫。そしてゲイのカップル)。前作のラストは、主人公が従順なロボットになったところで終わるが、リメイクでは、夫の土壇場の変心によってロボット化を免れ、夫とともにステップフォードの秘密を暴く。そして、大きく追加したラストがある。実は、超保守的思想のこの町を陰で支配していたのは、町の有力者夫婦の妻の方だった。そしてその妻は、かつては超エリートのキャリア・ウーマンだったが、夫婦関係の破綻から錯乱して夫と愛人を殺害。夫を「理想的な男性」のロボットとして蘇らせ、ステップフォードで自分の理想の世界を実現しようとしたのである。ステップフォードから「無事」生還した主人公・作家・ゲイはそれぞれ自分達の体験を作品化し大成功、「ラリー・キング・ショー」に出演。ステップフォードの「バカな男(夫)たち」は、いまや妻に代わりスーパーでショッピングカートを押している、というオチだ。

このようにプロットだけ書くと「現代化」は上手くいったように一見思えるが、実際の映画は、まったく上手くいっていない。

というのは、この映画が何をやりたいのかよく分からないのだ。キッドマン演じるキャリア・ウーマンはあまりに性格が悪く魅力がないので、感情移入しづらい。ゲイがパートナーに「ステップフォード・ワイフ」タイプを求めるのが釈然としない(そもそも1960年代の価値観の町が、ゲイカップルを歓迎するのも不自然だ)。黒幕だった元キャリア・ウーマンが「ステップフォード的理想」に執着する理由が不明(要するに“狂気の人物”ということなのか?)。

おそらく、オズ監督は本当はこういうテーマの映画は撮りたくなかったのではないだろうか。やたらセットや衣裳の完璧さにはこだわるわりに、このテーマについてとことん考えた形跡がないからだ。いまでも「妻は夫に従順な専業主婦でいろ。夫の性欲を満たす性の奉仕者でいろ」という思想に凝り固まった男はいるかもしれないが、日本に比べ現在のアメリカは専業主婦は少なく、むしろ、専業主婦に対して「健康なのになぜ働かない?」と周囲からのプレッシャーがあるとも聞く。特に高学歴のエリート男(この映画ではIT企業の社員という設定)ほど、妻にも社会的ステータスや高収入を求めるのが現在のアメリカ社会だろう。こういう時代にはこういう時代なりの悩みがあるはずだ。それが「現代化」することなのではないだろうか。

監督と脚本家も、レヴィンの原作の古さを分かっているからこそ「戯画化」しているのだが、かと言ってそれに代わる2000年代らしいジェンダーの問題を提示しているわけでもない。「ね、こいつら変でしょ?」だけなのだ。

アメリカのレヴューの多くが指摘しているように、プロットの矛盾やストーリー展開の破綻等々多くの穴があり過ぎるほどあるのだが、それらもすべて、「だって、これはコメディなんだから」というエクスキューズでうやむやにされる。『ウェインズ・ワールド』のような映画ならば、そうしたことも含めて“笑い”につなげているのだから矛盾も「あり」だが、この映画はそういうタイプのコメディではない。

もちろん、この映画にも良いところはある。メジャー作品の大きな資金力で、ステップフォードの美しい町をまるごと作っている。1960年代のアメリカを再現したインテリアや小道具、女性たちの衣裳やヘアメイク、カラフルなスーパーマーケットなど完璧だ。パーティーでの豪華なダンス・シーンなど、視覚的に楽しめるものが多い。キッドマンはほとんどの場面で短髪黒髪だが、最後の方でいつものブロンドのバービー人形のような美しい姿で登場する。ラストのパーティー場面での輝くばかりの美貌とドレス姿、これこそ、この映画に観客が求めているもののひとつといえるだろう。

この映画には、アカデミー賞受賞歴のある俳優が何人も出演している。しかも当然だが、皆「きちんと」演じているのだ。その演技自体は楽しめる。だが観てる側としては、ストーリーが破綻しまくってるうえ底が浅いので、なぜだか見てて妙に気恥しい。G・クローズの熱演すら「やりすぎ」感がただよう。とは言ってもメジャー作品だし、豪華セットで演技できるし、彼ら自身はそれなりに満足してるかもしれないが。ウォーケンはラストになってようやく彼らしい演技を見せてくれる。ウォーケンが“死ぬ”場面が、この映画の中で一番笑えた。

映画のタイトルバックで、1960年代に作られたとおぼしき映画やホームドラマの一場面がモンタージュされて流れる。このタイトルバックは一見の価値がある。

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